こんにちは!
自己紹介させてください♪
名古屋市瑞穂区を拠点にチョークアート教室を開講してます
ChalkMateのYUMiです♡
年女の今年もあとわずか…
いろいろチャレンジした年になりました!
いままでSNSなどには顔出ししてなかったのですが
顔が見えることでの安心感ってやっぱりありますよね♡
思い切ってHPやインスタのアイコンで
顔出しデビューしちゃいましたの、オホホ♪
自撮りで撮ったんですが、皆さんに好評いただいて
変えてよかったーーーーって想ってます!
ほんっと今時のアプリってすごいんですよねぇ~
実際に会ったら全然違うじゃん!!って
言われない程度に加工…笑
あ、前置きが長くなりました💦
新しいことにチャレンジすると
新しい方との出逢いがありました
そこで!
ChalkMateのYUMiってどんな人なん??
と知りたくなってる人もいるはず!!
え?想ってない??
もう知ってる??
じゃぁもっと深いとこまで話しちゃいますよ~!
YUMiってどんな人?
絵に没頭した学生時代
小さいころから絵を描くのが大好き!
裏面が真っ白なチラシが新聞に入っている日は超ラッキー♡
色鉛筆・クレヨン・クーピー・絵の具!
いろんな画材で人形や動物を描いて過ごしてました♪
一度、黒ペンで描いていたらテーブルに写ってしまい…
母にど叱られたのはいい想い出?笑
小学校高学年くらいから漫画を描き始めて
「将来は漫画家になる!」と大学時代はずっと漫画を描いていました♪
漫画はもちろん読むのも大好き♡
中学の時に読んだ漫画の影響で海外にも興味を持つようになり
初めてパスポートとってから、毎年海外へいくのが楽しみで
大学時代にはアメリカ留学、ハワイ旅行などバブルっておりました笑
海外永住を夢見ていた20代
社会人になってから働いたお金は
すべて海外旅行の資金にしてました♡
海外永住を夢見た若かりし頃…
大学で日本語教師養成の講義を受けて
「日本語教師になって海外に住むぞー!!」と
まずは
ワーキングホリデーでニュージーランドに行きました
そこで壁にぶち当たりました…
日本人だから日本語教えられる!って思っていたら
あーらどっこい、全っ然太刀打ちできない💦
私、ダメだ…と帰国しました
帰国後はビッチリ!
日本語教師養成学校に入り、
【日本語で日本語を教える直説法】を学びました
そして4年後!
オーストラリアにリベンジに行きました!!
現地では3つの小学校をかけもちして
都会のゴールドコーストやどえらい田舎の山々を
行ったり来たりしてました
チョークアートとの出逢い
そしてある時
ゴールドコーストのカフェで
チョークアートの看板を見つけたんです!
「え?なにこれ♡
めちゃくちゃカラフルで可愛い!!」
こんな絵を描いてみたい!
ハートをガッツリ掴まれました💓
がしかし!💦
この時は習う時間もお金もなくて
断念してしまいました。。。
母のがん発覚
その後、オーストラリアでは
急に部屋を追い出されたり
体調崩したりといろいろありました
そして、海外永住の夢をあきらめて
日本へ帰国して正社員の仕事に就きました
その会社で上司のパワハラ
先輩からのいじめにあうという
ダブルパンチ…
そしてさらに
母のがんがステージⅣで見つかり
延命するために抗がん剤をうけるか
「治療しなければ長くて半年…」と
言われ人生真っ暗になりました
実は20歳の時に、父を亡くしています
その時も「持って半年…」といわれました
大学生活を送っていた私と
厳しく無口な父と良い関係でなかったこともあり
自分のことを優先していて
父の看病にあまりいきませんでした
そして父の死後、
社会人として働き始めてようやく
中間管理職だった父の大変さを理解することができました
家族のためにどれだけ身を削って
朝早くから深夜近くまで働いてくれていたんだろうと
感謝の言葉を伝えたくても叶いませんでした
自分が社会に出てつらかった時に
仕事の悩みを父と話せないこともつらかったです
なんで最期の時に寄りそってあげられなかったんだろうと
ものすごく後悔しました
なので母のことでは後悔したくないと想い
正社員から休みやすいパートに変えてもらい
入退院を繰り返す母につきそう生活になりました
母の闘病に寄りそった30代
母のがんが発覚してから看取るまでの2年間
私には自分の時間がないと悩んでいました
誰にも母のことや将来の悩みを打ち明けられず、
母から逃げ出したいと想ったこともありました
だんだんと抗がん剤も効かなくなり、
「もう治療法はありません」と言われた時は
心がえぐられるほどのショックを受けましたが
母の前では噓をついて涙をみせませんでした
でも
帰ってから布団にくるまって
涙が枯れるまで大泣きしました
告知を受けてから3か月後、
私、姉、母の兄、義理のおばに見守られながら
母は息を引き取りました
母が目を閉じる瞬間も
さいごに振り絞った「ありがとう」も
今でも思い返すだけで涙が出ます
母をひとりぼっちで逝かせることなく
最期まで見届けることができたことは
よかったと想っています
再び出逢ったチョークアート
母が他界してから
ふとした時に母のことを想いだして
会社の机で涙ぐんで仕事にならない日もありました
それでも生活のためにパートで続けていた会社で
上司が変わり、もう一度正社員で働かないかと声をかけていただき
フルタイムで働くことになりました
好きに使えるお金はあるけど
なんだか人生にぽっかり穴が開いてしまって
何をしていいのか、このままでいいのかな?と想ってました
ぼんやり見ていた習い事の雑誌に
チョークアート体験の記事を見つけ
そうだ、
チョークアートしよう!
オーストラリアで出逢ったカラフルなチョークアート
再び、あの頃の気持ちがよみがえってきて
コレだ!!
すぐに体験に行き、
即!プロコースを申し込んでいました
不妊治療と出産
1年くらい時間をかけてプロコースを卒業して
同じ教室の仲間とイベントに出店したり楽しい日々を送っていました
結婚をして、高齢なのもありすぐに不妊治療をはじめました
治療と仕事の両立にストレスを感じて
なかなか子どもを授かることはできず…
そして会社が倒産の危機に…
親会社への転職を打診されたのですが
仕事の合間をぬって不妊治療に行く生活にもつかれていて
退職することにしました
会社のストレスがなくなったこと
引越しをしてあたらしい環境になったことで
あのつらい治療の日々は何だったのか?と想えるほど
気持ちが楽になり、妊娠することができました
がしかし!
妊娠したからと言って喜んでばかりもいられない
高齢の私には安定期に入っても不安で仕方なかったです
もう一生食べられないんじゃないかと想うくらい
つわりもひどく(今となっては大げさw)
チョークアートも描くことができなくなって
ただひたすら寝てすごしていました
出産当日はなかなか頭が出てこなくて
かなり時間がかかりましたが
無事に出産できた時はホッとしました
はじめての育児と産後うつ
目にいれても痛くないほど可愛い娘♡
寝てる顔をずーっと眺めてるだけで幸せでした
が!
寝れない・食べれない・頼れない…
そんな毎日に心身ともに疲れ果て
抱っこしても泣き止まない
寝てくれない娘から解放されたいと想うようになっていました
この手を離したら自由に、楽になれる
ふと頭をよぎった時
不妊治療までしてほしかったのに
なんてひどいことを想ったんだろうと
自分をひどく責めました
こんな母親じゃ娘がかわいそう
母乳も出ないポンコツ母でごめんと
夜中に涙が止まらなくなり
産後うつになってしまいました
人に頼る勇気
母乳もでない
若くもない
完母ママ、若いママへの劣等感につぶされそうでした
キラキラ育児を楽しんでる若いママの中に
自分なんか入り込めないと
ますます殻にこもっていきそうになりました
甘えるのが苦手
弱みをみせたくない
と意地になっていたのですが
このままじゃ本当にダメになると
人に頼ろうと支援センターや子育て講座に
時間をつぶすためにも参加するようになりました
自分と同じ悩みや不安を
ほかのママさんも同じように抱いてました
もっと早く
心開いてたらこんなに苦しまなくて
良かったのかもと悔やみました
そして
「ママだって子育て1年生なんだよ」と言われて
そこから少しずつ気が楽になりました
育児も楽しくなり、娘が1歳を迎えるころに
自分に目を向ける余裕ができて
またチョークアートやりたいなと
想うようになりました
チョークアート再始動
チョークアートをまた始めたい!と宣言していたら
娘の子育て講座で知り合ったママさんから
月1回の講座のお仕事をいただきました
好きな場所で好きな仕事ができる!
素敵なご縁をいただけてとても嬉しかったです
それから講座に参加してくださる方々から
「うちでもやってほしい」
「イベントに出てほしい」
と嬉しすぎるお誘いをたくさんいただきました
娘と一緒に仕事もできるチョークアートって
なんて素敵な仕事なんだろう!!って
毎日が上向きで幸せでした♡
順風満帆の日々から一転…
充実していた日々でしたが
悩みもポツポツとでてきました
最初は来てくれるのが嬉しくて
採算などまったく気にせず
ワンコイン、低価格でやっていました
キャンセルなどの対応もきちんと決めていなかったので
準備した板の在庫が増えていったり
イベント出店も何も考えずに
ひたすら出まくっていたので
いい時もあれば、赤字だったり
娘と一緒にすごせる仕事は
楽しいけれど
楽しいだけでは
仕事として続かない
続けていけないことに気づきました
娘がやりたいことを
やらせてあげたかったはずなのに
金銭で悩まずにやっていいよ!と言えなくなり
やってもやっても
収入が増えていかないせいで
なんのためにやってるんだろう
とモヤモヤしはじめました
チョークアートとの決別?
あんなに楽しかったチョークアートの時間
今日は時間内にちゃんと終わるかな
キャンセルされないかなと
不安のほうが大きくなりました
材料費やその他にかかる費用と
売上を照らし合わせて収益を計算しだすと
手元に残る収入が少なくて
次のレッスンやイベントの資金のためにも
レッスン内容を変えていく必要がありました
デザインによってレッスン料金を変えるようにしたところ
「その料金ならやらない」と言われることもあり
デザインよりも価格でえらばれているのかと凹みました
上手く描けるようになれば
もっと凝ったデザインのものが描きたくなる
ステップアップにはさらに知識と技術が必要になり
レッスンの価格もあがるのは必然なことと考えていました
私の考えと生徒さんのやりたいことの
ズレがどんどんできて、レッスンが辛くなりました
お金をもらっている以上、
生徒さんの要望に応えなきゃと思うほど
苦しくなっていきました
ズレを抱えながらのレッスンは
時間ばかりがすぎて収入は増えない
心が消耗して
楽しくない
描きたくない
もう辞めたい…
と想ってしまいました
4回目の正直
もう辞めよう
生徒さんにいつ切り出そうか…
そればっかりを考えながらレッスンをしていました
このままだと心が辟易してしまう
チョークアートが嫌いになってしまう
どうしたら
時間と収入が見合った価格で
生徒さんに来てもらえるんだろう
教室ってどうやって創ればいいんだろう
八方ふさがりになり
自信を無くしてしまった私の前に
なんと救世主が現われました!
絵に惚れこんで技法を習いに行っていた先生が
チョークアートの技法ではなく
チョークアートに必要なデッサンと
教室の創り方を学ぶ講座をはじめたのです
今の私に必要なのはコレだ!!と想い
イチから教室の創り方を学びたい!と
先生のお世話になることにしました
挫かれた再出発
教室運営のビジネスの仕方を学び
自分の教室に自信を持って
やるぞー!!と気持ちが高ぶってきたころ
アレですよ、アレ…
コロナがキターっっ!!
保育園は休園
レッスンはキャンセル
イベントも相次ぎ中止
収入が0になってしまいました💦
レッスンもイベントもできないんじゃ
どうしようもない!
っと以前の私ならすぐにあきらめていたと想います
でも、
自分と向き合って学んだおかげで
この時間だからこそできることをしようと
なかなか外に出かけられない期間に
チョークアートを楽しんでもらえたらと
チョークアートキットの販売をはじめました
できることはたくさんある
失敗してもまた立ち上がればいい
そんな精神も鍛えられた時期でした
何度でも立ち上げる
コロナでレッスンができない期間に
レッスン内容をしっかりと決めて改訂しました
あやふやで自信がなかった
嫌われたくない
来てもらえなくなったら…
そんな不安から伝えられなかった
時間と価格、延長料金やキャンセルポリシー
どうして教室をするのか
ブレない軸を決めました
これでやるんだと決めて
受け入れてもらえなかったら仕方がない
ご縁がなかったんだと
気持ちの切り替えもできるようになりました
ようやく
チョークアートを仕事にして
収入を得ていく覚悟ができました
飽き性で
あきらめの早い私が
チョークアートだけは
何度も壁にぶち当たっても立ちなおって
ずっと続けてこれました
なぜなんだろう?と想ったとき
描いてる時間に
心が整っていくんです
心が整ってないと
他のことは上手くいかないけど
チョークアートを描いていると
自分で作り出すグラデーションに癒され
色をまぜる指先は心地よい感触があります
心が落ち着かなくなったら
チョークアートを描く
心をととのえるチョークアートは
私の日常になくてはならない
癒しになっています
自分も癒されながら
好きな絵を描いて
人に喜ばれる
好きなことを仕事にして
収入を得られて
家族の時間もたっぷりもてる
ちいさなお子さんから
大人の方まで楽しめて
作品が仕上がった時には
「わたしでも描けた!」と
キラキラした目の素敵な笑顔がみられます
その瞬間を一緒に味わえるのが
この仕事の魅力です♡
一生モノの趣味から
仕事にしていきたいママのために
子どもに好きなことをさせてあげたい
家族と一緒にいろんなところ行きたい
その願いを叶えるサポートができたらと想っています♡